銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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漫才の構造分析

漫才という笑芸は1900年代に入ると落語に代わって大衆笑芸の中心になった。伝統的な漫才はボケとツッコミの掛け合いによって展開される。まずボケ役は既成の慣習や日常的に予想される行動を裏切る、もしくは無視するように振る舞う。それに対してツッコミはボケの行動の矛盾点や破綻している点、理不尽さを指摘して現実世界の規律に従うように正す。この一連のやり取りが観客の笑いを誘う。この漫才の仕組みを「パラレル・ワールド理論」という理論に基づいて見てみようと思う。

 


パラレル・ワールドと言ってもSFに登場する特殊な時空間や物理学で想定される並行世界のことではなく、芸人の言語や身振り手振りによって観客の内に立ち現れる架空空間のことである。まず我々が日常を過ごしている現実世界(R世界)がある。漫才を鑑賞するのはこのR世界の内部においてであり、また漫才自体もR世界の文脈で披露される。そして漫才の中でボケがR世界の規律からは逸脱した不条理な言動をすると、そこにボケ独自の世界観を持つパラレル・ワールド(P世界)が立ち現れて観客を取り込もうとする。R世界の住人である観客が感じた違和感をツッコミがR世界を代表して指摘し、P世界に没頭するボケとP世界に引き寄せられた観客をR世界の秩序に引き戻す。この時に笑いが生じるのだが、なぜP世界とR世界の並列が笑いになるのだろうか。これは「不一致理論」によって説明される。

 


不一致理論は優越理論と並ぶ古典的ユーモア理論の大きな流れである。可笑しみが予期や基準、規律、標準からの何らかの逸脱と関連していることは広く指摘されており、古代ギリシャ時代にはすでにアリストテレスが『弁論術』の中で予期とのズレが生む滑稽さに言及している。例えば哲学者であるショーペンハウアーは、認識と対象の不一致による笑いを考察した。人間の表象には直観的表象と抽象的表象があり、直観的表象は実際の世界の因果関係に基づいた表象であり、実在と直接結びついている。一方で抽象的表象は概念に基づく表象だが、リアルタイムで展開されていく実在とはしばしば不一致が生じる。ショーペンハウアーは、すべての笑いの原因は抽象的表象(概念)と直観的表象(実在)との不一致により生じるとしている。漫才のパラレル・ワールド理論に当てはめるなら、予期される概念であるR世界と、ボケが展開する実在としてのP世界との不一致が面白いということになる。

 


続いて、P世界を展開し不一致を演出するボケに対してツッコミが果たす役割について見ていく。ツッコミの主な仕事はP世界が含有する違和感への適切な視点を観客に提供することである。ボケがP世界を提示したとき、観客は不一致に気がつく(気がつかない場合もある)がその時点では不一致は言語化されておらず、ツッコミによって違和感は明確な形で言語化されて認識される。漫才でもっとも笑いが起こりやすいのはボケた瞬間ではなくツッコミが行われた瞬間だが、それは不一致が浮き彫りにされたからである。

 


しかしツッコミが笑いを生む要因は不一致の指摘だけではない。一般的にツッコミはボケを叱りつけるような強い口調で不一致を指摘する。これによりP世界とR世界の間に上下関係が生まれる。つまり、秩序や規律に従うR世界に属する観客が正しく、P世界に属するボケは間違っているという関係性である。このとき冒頭で触れた「優越理論」に基づく笑いが生じる。この「優越による笑い」はプラトンアリストテレスによっても指摘されており、古くから笑いの大きな原因として論じられてきた。観客がボケに対するツッコミを見たとき、もちろん「嘲笑」が生じているわけではないが、自分の属する集団の他者に対する優越が無意識に笑いを生じさせる要因になっていることは否定できない。

 

また、ツッコミはただ指摘するのではなくレトリックも用いることがある。レトリックとは大まかに「言葉を巧みに用い、効果的に表現すること、そしてその技術」という意味で捉えられる。例えばタカアンドトシのツッコミであるトシは「〇〇か!」とツッコむが、これは明らかにメタファーである(頭を叩くことで優越による笑いも誘発している)。また、霜降り明星粗品のツッコミには体言止めが採用されている。レトリックによってツッコミはそれ自体で可笑しみを生むことができる。このように、ツッコミはボケの提示するP世界のR世界との不一致に対する適切な視点を与えるだけではなく、それに掛け合わせるように優越による笑いやレトリックによる可笑しみを提示し、笑いを増幅させているのである。

 


 ここまで、伝統的な漫才の手法について見てきたが、漫才の在り方は多様である。例えばジャルジャルの「国名わけっこ」のネタでは、ボケの福徳が「国名わけっこ」という国名の途中までを片方が言い残りをもう一人が続ける架空のゲームを提示し、ツッコミの後藤と二人でそれを行う。パラレル・ワールド理論に基づくなら、後藤は「国名わけっこ」という実在しないP世界そのものにツッコまなくてはならないが、後藤はゲームに参加することでP世界の住人となってしまう。そして「インドネシア多いな。オレほぼ一回おきに『ドネシア』って言うてんで」「アルゼンチンばっかりやな。ほぼ『ゼンチン』『チン』って言うてんでオレ」とP世界の規律に則ってツッコんでいる。したがってここではP世界とR世界の二項対立ではなく、「国名わけっこ」が存在するP世界と、P世界の規律から予想される展開(様々な国名が出てくる)とはズレたもう一つのP世界であるP2世界(インドネシアとアルゼンチンばかり出てくる)が生じており、その間での不一致が笑いを生んでいる。それだけではなく、後藤は「頭おかしくなるわ。見ている人の精神状態が心配になってくる」とP世界そのものの不条理も提示することでR世界とP世界の不一致にも言及している。したがってこの漫才は二重の不一致を生じさせているのである。このような二重構造の漫才は千鳥の「泥棒田泥男」の漫才やマヂカルラブリーの「野田ミュージカル」など枚挙に暇がない。

 


続いて、メタ構造の漫才について考察したい。メタ構造の漫才とは、漫才そのものに言及したり批評したりする漫才である。例えば東京ダイナマイトの漫才には、ボケの松田がツッコミの代わりにエクササイズをやるべきだと主張してツッコミのハチミツ二郎にボケるよう促し、彼がボケるとおもむろに、「エクササイズ入ります!」と言ってエクササイズマシーンに乗るというネタがある。状況はあまり想像できないかもしれないが、「ボケとツッコミの掛け合いで展開する」という漫才の構造自体に言及している点でメタ構造の漫才であると言える。このネタでは「ボケに対してツッコミがある」という予期との不一致が笑いを生む。また、四千頭身の漫才ではネタの序盤に都築と石橋がボケを畳み掛けるのに対して、ツッコミの後藤が「前半に畳み掛けんな。いやあるよ、そういうの。たくさんボケてたくさんツッコむ、畳み掛けるやつ。あるけど、あれ前半にやる人いないから」とツッコむ。これは、終盤で畳み掛けるようにボケるという漫才によく見られる構造との不一致により笑いを生んでいる。前半に矢継ぎ早にボケるという展開に対して観客がなんとなく感じていた違和感の正体を後藤が明確に言語化することで不一致が浮き彫りになる仕組みなので、後藤のツッコミのタイミングで顕著に笑いが起こりやすい。

 


 上記のメタ構造の漫才は漫才に出てくるボケやツッコミの内容に言及したものだったが、漫才の構造自体をP世界として捉えた漫才もある。例えばアルコ&ピースのあるネタでは、酒井が「オレ忍者になって巻物を取りに行きたいなと思って。オレ忍者やるから、平子さんは城の門番やってよ」と漫才では恒例のネタ振りをする。それに対して平子が「じゃあお笑いやめろよ。今オレらどういう時期だよ。(中略)(仕事も減ってきて)それでも何クソって、石にかじりついてでもこの仕事やり抜こうって、そういう努力の時期じゃないのかよ。忍者になって巻物取りに行く時期じゃないだろ!」と怒るというネタがある。これは秀逸なメタ漫才である。漫才で恒例の「〇〇をやりたい」というネタ振りはP世界を成立させるための架空の作業であり、R世界での彼らの職業には影響していないことは観客が無意識に持っている大前提であった。つまり、すでに漫才の持つ「P世界とR世界は並列する」という構造は私たちにとってR世界の一部であるということに着目し、「P世界とR世界が一致する」という新たなP世界を平子が提示したのである。

 


今年のM-1グランプリ決勝に勝ち進んだぺこぱも漫才の構造に対するメタ漫才として捉えられる。ツッコミの松陰寺太勇はシュウペイのボケを正すのではなく、P世界を肯定する。例えば、車の運転中にハンドルを握らないというボケに対して、一般的な漫才なら「ハンドル握れよ!」というツッコミが想定されるが、ぺこぱの場合は松陰寺が「いやハンドルを握らなくていい車がもう町中に溢れている」とツッコむ。これは、「ツッコミがP世界とR世界との不一致を指摘する」という漫才の構図がすでに観客のR世界の組み込まれていることを利用して、「ツッコミがP世界とR世界の不一致を解消する」という役割を果たすP世界を作り出し、そのP世界とR世界との不一致により笑いを生み出す画期的な手法である。アルコ&ピースとぺこぱのいずれのネタでも、ボケとツッコミが協力してP世界を作り出すのでP世界とR世界との不一致を指摘する役割が観客自身の手に委ねられるという点に特徴がある。

 


以上、伝統的な漫才に加えて二重構造とメタ構造の漫才をそれぞれパラレル・ワールド理論を用いて分析した。