銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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アナゴ、温泉、ヒカリモ

大学二年の時に美容師に「大学生か〜じゃあ今が一番楽しいね」と言われ、「いやいや。お前と一緒にするなよ。オレはこれからも楽しい時期を更新し続けてやるぞ」と思いながら「そうすね〜」とヘラヘラ笑っていた(美容師は専門学校を卒業してることが多いからこの指摘は的外れである)。

しかし、今、就職して、千葉の僻地で二ヶ月間の研修中なのだが。非常にまずい。美容師の言った通りになってしまう。すなわち何も楽しいことがない。

だからせめて休日くらいは楽しもうと決意している。今日は休日だった。木金が休みなのだ。昨日は雨だったので今日は外を出歩くぞ〜という強い気持ちがある。

目が覚めると8時だった。ベッドの上でスマホをいじり、今日の予定を考える。どうやらこの辺りはアナゴが有名らしい。そういえば少し電車に乗ると漁港があったような。予定が決まった。

しかし8時に外に出てもアナゴは食べられないだろうから11時ごろ家を出ることにした。コーヒーを飲み、布団を干して、寮の事務室で掃除機を借りる。「大潟くんは綺麗好きですね」と事務のおばさんに言われたが、オレが掃除機を借りるのは週に一回くらいだ。みんなもっと掃除機をかけろ。

家を出て、30分歩き、電車に乗り、30分歩き、目的の店に着いた。アナゴは千葉では「はかりめ」というらしい。はかりめ重と瓶ビールを頼む。美味しい。食べ終わってメニューを見ていると「アジ刺身」が目に入った。たしかアジの旬は今くらいだったような気がするので、それと日本酒を頼んだ。後で調べたらアジの旬は6-8月だった。美味しかったから関係ない。

少し歩くと海に出た。東京湾なので、特段綺麗な海ではないが、それでも海を見られるのは嬉しかった。遠くに芝犬とおじいさんが散歩しているほかは誰もいない。オレは防波堤にあぐらをかいて、そこそこの声量でエレファントカシマシのEasy goをフルで歌い切った。ボーッと海を眺めながら、芝犬と一緒にいる高齢の男性は「おじいさん」であって断じて「ジジイ」ではないな、と思った。

まだ14:30だった。このまま帰るにはもったいない時間だ。駅前にカフェがあったような気がしたのでそこで甘いものを食べようと思った。結局、向かって歩いている途中のカフェに入ったが特に理由はなかった。ただ、フラッと入る方が一人散歩っぽくて良いなと思っただけだ。フォンダンショコラとアップルシナモンティーを注文した。

他に客はいなかった。それらが届くとオレはエビが刺繍された自慢のサコッシュから文庫本を取り出して読み始めた。紅茶にはハチミツが添えられていたので途中で入れてみたが、入れない方が美味しいと思った。

しばらくすると女性が一人やってきてアイスココアを頼み、店主の女性と世間話を始めた。聞くでもなく話を聞いているとオレが入社した会社の話になった。

「あそこの社員は一日で30万円飲むらしいわよ」

「あら、本当。すごいわね〜」

30万。オレの初任給を遥かに上回る額だ。やはり出世するとすごいんだな〜と思った。そんなわけあるか。

電車に乗って南下すると天然温泉があるらしいことがわかった。駅から30分くらい歩くようだがオレにとっては些細な距離だった。

カフェから駅に向かう途中でタオルを買おうと思いコンビニに寄った。「タオル雑巾5枚入り」が見つかった。しばらく考えて「雑巾であっても新品なら雑巾ではない、雑巾とは後天的に与えられる性質である」と判断し、手に取った瞬間に「フェイスタオル3枚入り」が売られていることに気づいた。雑巾を棚に戻す。誰が雑巾で体を拭くか。馬鹿が。

そういえば高校二年の大掃除のとき、廊下の向こうから小川って男が雑巾を振り回しながらやってきて、急に「誰が雑巾小川だ!!!」とキレたのを思い出した。誰も言ってないよ。

コンビニには地元の中学生がたくさんいた。隅の方にカップルがいた。男の方は少し髪が長くて、毛先を遊ばせているような今風の子だった。かたやアイス売り場には五、六人の坊主頭が楽しそうに喋っていた。こういう時に「坊主らの方が面白そう」と考えるのは素人で、実際に友達になるとカップルの男子みたいなやつの方が面白いことが多い。

坊主らはレジ前に集まっていて、並んでいるのかどうかわからなかったので一人の小坊主に「並んでますか?」と聞いた。すると小坊主は元気よく「はい!でもいいっすよ!」と言った。いいっすよ?なんで?と思いながら「ありがとうございます」と言って会計を済ませた。いいわけがなくないか?並んでたのに…。

歩きながらふと気がついた。坊主らは五、六人で並んでいた。あそこでオレが後ろに並ぶと結構待つことになってしまう。それを気遣って小坊主は「いいっすよ」と言ってくれたのではないか。それをあの短い間に判断するとは聡明な小坊主だ。やるな。

電車を降りて温泉まで歩く道沿いに、「ヒカリモ発見の地」という小さな看板があった。ヒカリモってなんだ?と近づくと、鳥居があり、奥に洞窟があった。どうやら「ヒカリモ」とは光る「藻」のことで、水面を光らせるらしい。地元では「黄金の井戸」と呼んでこうして祀っているんだとか。ふーん、と思って洞窟に入ると奥には澱んだ水が溜まっているだけだった。

「光っている」と聞いたものが実際に光っていることなど、我々の人生においてはほとんど無いのである。

しかし外がまだ明るいからかもしれないな。帰りにまた寄ろう。

温泉は非常に良かった。露天風呂からは海が一望できた。三人組の男が入ってきた。

「おお、海だ」

「いいね」

「ガラスがなければ完璧だったな」

言われてみればその露天風呂は仕切りガラス越しに海を眺めるようになっていた。たしかに、上に屋根もあるしこのガラスは不要かもしれない。無ければもっと綺麗に海が見えただろう。オレは男のクリティカルシンキングに舌を巻いた。

温泉から帰る途中に「ヒカリモ」にまた寄った。やはり澱んだ水があるだけだった。そういえば朝布団を干してそのままだ。今頃布団は冷え切っているだろう。

21420歩。