銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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くもんのCMの話

くもんのCMで「一人で読めるくん」「ひらがな書けるちゃん」「集中力すごいさん」みんなすごいね、くもんいくもん!というものがあった。

 

オレはこれを見たとき、ふと幼稚園の時のことを思い出した。

オレは幼少期を北海道の片田舎で過ごしており、「山里幼稚園」という山道をバスでガタガタ登った先の幼稚園に通っていた。

山里幼稚園では、冬に雪像大会が開催される。園児と保護者がそれぞれの組に分かれて巨大な雪像を一日がかりで作り上げるというものだ。

その年、我々は「恐竜のすべり台」を作った。四つ足で首の長い草食恐竜の尻尾が階段になっていて、首をすべり下りる。表面には色をつけた雪玉(どうやって色をつけたのかは覚えていない。失われた技術?)をたくさん埋め込んで華やかにしてある。

大会の最後には表彰式が行われる。順位をつけるものではなく、それぞれの組の雪像に対して「かっこいいで賞」「おどろいたで賞」のような賞が与えられるものだ。我々キツツキ組が園長先生にいただいたのは「がんばったで賞」だった。

 

「がんばったで賞」。

 

明言はされなくとも、キツツキ組が最も低い評価を得ていることがこの賞から滲み出るようにわかった。オレは母親に泣いて訴えた。なぜ我々が最下位なんだ。こんなに素晴らしい雪像を作ったではないか。

母親は「がんばったで賞」をもらったでしょ、とオレをたしなめた。しかしオレには「がんばったで賞」など無意味にしか思えなかった。がんばったことなど当たり前ではないか。結果に褒めるところがないときに過程を褒めるのだということを知っていた。

 

冒頭に書いたCMでは「集中力すごいさん」がそれに当たる。きっと彼女は勉強の成果はなかなか出ないのだろう。もちろん集中力があることは今後の人生で大きな力になるが、学習塾であるくもんという場において、さらに他の二人が「一人で読める」「ひらがなを書ける」という成果を褒められているという文脈において、彼女の受けた評価は最も低い。

 

じゃあどうすればいいんだ、ということは特にない。実際結果がでなくても人の頑張りは認めるべきだし、結果が全てではない。果たして本当に結果が全てではないのか?という疑問はあるが、それにしても努力、過程は認めるべきだしオレも認めてほしい。

 

ただ、それでお茶を濁すのをやめてほしいということだ。他の人を評価した後、「お前はがんばった」とまるで同列のことのように言って終わらせないでほしいということだ。

 

ちなみにオレは一人で読めるしひらがなも書けるし集中力もある。くもんには行っていない。ざまあみろ。何が?