銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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人間の愚かさについて

 皆それぞれ生理的に嫌なことがあるとは思いますが、俺は、「自分には関係ないのに干渉すること」が嫌いだ。

 俺は基本的にあまり他の人に興味がなくて、自分に関係なければ何をやっても別に構わないと思っている。周りに迷惑をかけなければなんだって良いし、もっと言えば、周りに迷惑をかけていたとしても、自分に迷惑がかかっていなければ別に口出しをしようとは思わない。

 嫌なら迷惑をかけられた当人が言えばいいだけで、俺には他人の面倒まで見るほどの余裕がない。それを止めようという正義感は持ち合わせていない。

 ただし例外的に自分の眼の前で誰かが迷惑を被っていて、更に加害者と被害者との間に明確なパワーバランスがあり、自分であればそれを解決できる可能性がある、と感じた時には口出しをする場合もある。

 それは自分の価値観に照らし合わせて、その晩よく眠れる方を選ぶだけだ。(その晩よく眠れないなら自分に迷惑がかかっているとも言える)

 しかしどうやら、自分に関係あると感じる範囲が広い人も多いようだ。愚かな人間は(愚かな人間、は二重表現である。人間は愚かだから)、どう考えても自分には関係のないことで嘆いたり、憤ったり、文句を言ったりする。

 問題は、そういう人を見た俺が、不快に感じるということだ。これは俺の中では大きい矛盾である。つまり、「他人に口出しをする人間」の存在は俺には関係がないからだ。

 俺は自分に関係のないことに干渉する人間を嫌悪する。しかしその嫌悪する対象は俺には関係が無いのだから、俺自身が、自分には関係のないことに対して憤りを感じていることになる。俺も愚かな人間の一人だと言うことだ。

 俺はそういう人間を見たときに強いストレスを感じる。いつそういう人間を見るかと言えば、結局、Twitterなのである。

 そもそもTwitterというSNS自体が、知らねえ関係ない奴が関係ないことに対して勝手なことを言う、という設計になっているのだ。それを未だに眺めている俺は本当に愚かである。

 俺は自分が愚かな人間の一員であることが耐えられない。俺を救う道は一つしかない。それは、俺が実は人間ではなくて龍の末裔であることだ。龍の末裔は普通に暮らしていながらある時突然そう知らされることも多いと聞く。だから俺が龍の末裔である可能性もまだ存在するというわけだ。しかし、黒髪で眼鏡かけた龍の末裔も珍しいか。

 まあその場合は自分が愚かな人間ではなく、愚かな龍の末裔であるとわかるだけなのだが。