銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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表現の話

なんとなく違和感を覚える表現があって、それは「何か言うための具体例として創作物を挙げる」ことだ。

 

もっとわかりやすく言えば、例えば「諦めないことが大切である」ということを伝えるときである。

 

良いですか。人生で大切なのは諦めないことです。スラムダンク安西先生は、他の誰もが諦めたときにこう言いました。「諦めたらそこで試合終了ですよ」と。このように諦めないことは非常に大切です。

 

これ、どうだろうか。よく聞く話である。ボーッとしてると「確かになあ」と思ってしまう。

しかし、私たちはここで一旦落ち着いて、「諦めないことが大切である」という価値観と「諦めたらそこで試合終了ですよ」というシーンの、どちらが先にあるのかを考えなければならない。

 

スラムダンクが創作物である以上、「諦めないことが大切である」という価値観をもとにそのシーンが構築されているということだ。

 

これ自体にはなんの問題もないが、「諦めないことが大切である」ということの根拠としてこのシーンを持ち出すのは明らかに循環している。「諦めないことが大切である」という価値観はこのシーンが作られた根拠になっているからだ。

 

あと、もう一つ違和感を覚えるのは安易な比喩表現である。特に、性質に関して話す時に用いられる比喩には注意が必要だ。

 

例えば、苦境にいる人間を励まそうとする時に、「どんな夜でも必ず明けるだろ。それと同じだよ」という場合がある。

 

確かに夜は必ず明けるが、だからと言って苦境が必ず終わるという理由にはならない(死は苦境が終わったことにはならないとする)。夜が明けることと苦境が終わることには関連がないからだ。これが性質に関する比喩の問題である。

 

しかし、昼は必ず終わることを説明するときに、「夜は必ず明けるだろ。それと同じだよ」というのは納得がいく。なぜならこれは仕組みに関する比喩だからだ。

 

だから、比喩表現についてはそれが性質に関するものか仕組みに関するものかに注意しなければならない。

 

あと創作物を具体例に出してくる場合も。

 

それだけです。