銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

Twitter → https://twitter.com/bamtehu0310

脱臼した話

8/31、夏の終わり、オレは左の肘を脱臼した。

 

部活中、手を畳に勢いよくついたとき、肘に電撃が走った気がした。肘が伸びきったのだろうか。オレはよく肘を過伸展させて痛めていたので、それだろうと思った。過伸展なら、一日休めば動けるようになる。

 

しかし痛みのレベルが過伸展のそれではなかった。オレはこれを以前に経験したことがある。ちょうど三ヶ月前だった。オレは6/1に右肘を脱臼していた。そのときのどうしようもない、全く引かない痛みが左肘にあった。

 

またか、と思った。この間2秒。

 

オレは痛みに喘ぎながらも冷静だった。脱臼は今めちゃくちゃ痛いだけで、整復して三角巾で吊れば楽になると知っていたからだ。

脱臼はクセになる。一回脱臼した箇所は脱臼しやすくなるらしい。しかしオレが以前に脱臼したのは右肘だ。左肘とは関係がない。クセになったわけではない。

ただ異常な頻度で肘を脱臼したに過ぎない。

 

脱臼は、整復してもらったあとは痛くない。でももう一度動かせるようになるまでは一ヶ月を要することをオレは知っていた。

大会の直前だった。全ての競技を棄権した。これでオレは、前の脱臼による棄権も含め、今年は大会に一度も出場しないことになった。馬鹿みたいではないか。

 

怪我をした場合は練習を見学しに行かなければならない。行きたくない。自分は動けないのに他の人が練習してるのを見るほど辛いことはない。

本当に行きたくないし最悪の気分だが、行かなければならない。なぜなら、同様に怪我をしている同期は見学に来ているから。彼らが頑張っているのにオレが頑張らないのは甘えだから。

 

ならばオレが頑張ることも誰かが頑張ることに繋がるのだろうか。本当はそんなことは知ったことではないのだけど。

 

でも、頑張ること自体に意味がないとしたら。オレたちは意味のないことを連鎖的にやっているに過ぎないのではないか。意味はあるのか。誰のためなんだろうか。

 

いや、意味がないからやらない、など最底辺の人間の言うことだ。人間は意味がないことをやってこその存在だから。意味がないことはやらないのならば、なぜオレたちは意味のない人生を生きているのか。

 

ただオレは最底辺の人間かもしれない。それだけは確かだ。