銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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元日の話

元日だ〜!

 

あけましておめでとうございます。

 

友達に「あけましておめでとう」って言ったら「ありがとう」って返されたのめちゃくちゃ面白かったな 。

 

お前だけが明けたと思うなよ。

 

2017年の年末にブルゾンちえみが「どうも!年越しウーマンです!」って言ったのもすごい面白かった。お前だけじゃないんだよ。みんな越すんだよ。

 

はい。

 

まあ、新年と言っても、地球はずっと同じ速度で回ってるわけで、そこに勝手に人間が区切りを入れただけなんですよね。だから全然本質的には特別なことはない。

 

初日の出だって、「きれい」とかじゃないんだよ。毎日きれいなんだよ。見てないだけ。

 

と、尖って正月を撥ね付けるのは誰だってできる。でも実際は、我々はもう手付かずの自然でウホウホ暮らしてるんじゃないわけで、自然の時間ではなく社会の時間に生きてる。

 

いくら尖ったって釈迦の手の中の孫悟空だ。オレたちはもう正月から逃れることはできない。

 

元日の午前3時に初詣に行った。一人で。友達の家で年越してたんだけど、思い立って「初詣行こや」と誘ったら誰も来なかったから。

 

真っ暗だった。

 

Googleマップで「付近の神社」を検索して、全然縁もゆかりもない小さな神社まで歩いた。

 

誰もいなかった。

 

財布を見たが5円玉はなかった。そもそも小銭程度で神の気をひこうなんざちゃんちゃらおかしいが、オレは割と迷信とかは信じるタイプなので、50円を投げた。

 

「確か、二礼二拍手一礼、だっけ」などと考えながら、まあ誰も見てないしなんでも良いか、と、二回礼をして、めちゃくちゃでかい音で二回手を叩いた。こんな深夜に参拝客が来るとは神も思ってないから、すごいアピールした方がいいなと思ったから。

 

手を合わせて目をつぶったところで祈ることを何も考えてなかったことに気づいた。一瞬焦ったが、よく考えたら連れもいないし、後ろに誰か待ってるわけでもない。ゆっくり神に付き合ってもらうことにした。

 

目をつぶって去年のことを考えた。嫌なこともそりゃあったが、人間は嫌なことばかり覚えていて楽しかったことってすぐ上書きされるものだ。

 

恐らくそんなに悪い年ではなかったんじゃないかな。こうやって何不自由なく生きてる時点で全く問題ない、無難に良い一年だったんだろう。

 

今年のことを考えた。

 

今年はどんな年にしたいか、ということを考えたが「なるべく楽しい年にしたい」ぐらいしか思いつかなかった。浅すぎる。

 

欲を言うなら、部活で学生大会に出場して、哲学はちょっとでも理解できるようになって、大切な人ができると良い。

 

あと、やりたいこと、食べたいもの、行きたい場所、会いたい人、に躊躇しない一年にしたい。

 

この辺まで考えたところで、物音がした。

 

まあ普通に風が吹いて拝殿の布が揺れただけなんだけど、深夜の誰もいない神社である。

 

これ、神なんじゃない?

 

神、来た?

 

いや、夜中に一人で目つぶって神に祈ってる時、拝殿の布が揺れたらちょっと「神、来た?」と思っちゃうでしょ。

 

で、オレ目開けちゃったんだよね。

「神いるの?」って思ったから。これ、マジで思いました。

 

全然いなかった。ただ拝殿の布が風で揺れてるだけ。

 

あれ、あのまま目つぶってたらお告げとか聞けたんじゃないかな。本当に惜しいことをした。

 

でも神がオレの目に見えるとは限らないし、あの時来てた可能性はある。

 

今年、オレには神がついている。

 

そのつもりでよろしくお願いします。