銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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どうしようもない話

人間には誰しも得手不得手がある。

オレは自分の感情をコントロールするのが苦手だ、と気づいたのは最近だ。最近だ、というかさっきだ。

「今??」というタイミングで泣いたりしてしまう。オレは本当に泣いているとき「今??」と自分で思っている。

あまり怒ったことは無いが、怒りの感情もコントロールできないのだろう。少なくとも悔しさはコントロールできていない。

感情と理性が別居している。戸籍上は結婚していても事実上は離婚している。

夜は感情のホームで、理性はアウェイだ。夜は感情が激しく泡立って理性は「オレは関係ない」という顔を決め込んでいる。全く理不尽な思い込みが頭を支配して血流の中でぐるぐると回る。

「絶対に言うべきではない」とわかっていながらそれを言ってしまう。いつもはかなり言動に気を使っているのだが、一度感情が激しく泡立つとそれを口にするまで収まらない。口にすることが憚られるなら、文字にすること。文字にして誰かに読んでもらうこと。すなわちTwitterでありブログであるが、これらは感情をコントロールする手段として有用である。

しかし厄介なことに「公開」しないと感情は静まってくれない。一度自分の気持ちを文字にして溜め込んでいたことがあったが、文字が、言葉が破裂しそうになってより苦しくなってしまった。

肥大化した承認欲求と暴走する感情の手綱を取るためのTwitterでありブログである。

だが問題があって、このアカウントはリアルの人間関係がそのまま反映されているからここでの発言はリアルに口にすることと殆ど変わらない、というより公開範囲としては口にするより尚悪い。

これを解決するのは裏垢を作ることだろうがそれをしたらなんとなく終わりな気がしている。第一それを誰にフォローしてもらうのだ。

感情の暴走を自分でコントロールできたらこんなに楽なことは無い。オレだって今ぶちまける台詞じゃないこと、今泣くのは理不尽だということはわかっている。それが決して良い結果をもたらさないことは知っているんだ。

独り言を良く言う。夜の公園で犬の散歩をしながらオレは自分の感情を整理しようとしてブツブツと存在しない聞き手に向かって喋る。「違う。そうじゃねえよ。なんでわかんねえんだ、馬鹿か。オレが言いたいのは。」

虚しい。だがどうしようもないではないか?

オレに必要なのはオレの感情が表に出て実害を及ぼす前に全てぶちまけても許容してくれる人の存在だ。こんな我儘な話はない。結局こうやって、感情に振り回されて生きていくしかないのだろう。感情に振り回されるオレに振り回される周りの人もいい迷惑だな。

このブログも泡立つ感情に任せて書いているから公開した後に後悔するかもしれない。

 

もしかして「公開」と「後悔」がかかっているのか?