銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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焼きそば

さて、と呟いてオレは腕捲りをし、キッチンを見回した。美咲に料理を作るなんて久しぶりだな、と思った。付き合いたての頃はたまにこうしてオレが作ることもあったのだ。今日はあの頃よく作った焼きそばにしてやろうと決めていた。材料も全部買ってきてあるのだ。

 

まずは豚バラ肉を一口大に切って、油を引いたフライパンで炒める。ここで、肉に「あっ、なんだなんだ」と思わせる間もなく一気に炒めてしまう、というのがコツだ。そんなことを美咲に言ったら何なのそれ、と笑っていた。オレは彼女のその困ったような笑顔が好きだった。困ったような笑顔が好きなんてのは屈折しているかもしれないが、そのときに少し首を右に傾ける仕草がかわいらしかった。

 

そんなことを考えていたら少し肉を焦がしてしまった。でもカリカリの肉もまた一興だろう、と思った。オレはただでは転ばない男だ。肉をフライパンから取り出して、野菜を切る。

 

美咲と出会ったのは二年前の10月18日だ。強引に誘われた数合わせの合コンで、目をぎらつかせる友人を横目に手持ち無沙汰に箸袋をいじっていると「お互い大変ですね」と向かいの女性が声をかけてきた。彼女が美咲だった。その時も彼女は困ったように笑ったのだった。

 

出会った頃のことを考えると自然と口角が上がってしまう。今日はあの頃よく作った焼きそばを作ってやるのだ。美咲も久しく食べていないわけだから、感動してくれるに違いないのである。玉ねぎを切り終わって、次は人参を半月切りにしていく。

 

それからほどなくしてオレたちは付き合い始めた。そうして一年半ほど経ったとき、美咲が「ごめんなさい、もう好きではなくなったみたい」と言った。オレは激しくロウバイして、「そんな、急に言われても」などと男らしくないことを言った。

美咲はその時も困ったように笑ったのだった!

 

あっ

人参を抑える手が滑ってしまった。左手の指を切ってしまった。興奮しているので血がドクドク流れてしまう。これはかなり深く切ってしまったみたいだな。まずいまずい。焼きそばに血が入ってしまってはまずいではないか。せっかくのオレと美咲の思い出の焼きそばなのだ。

 

オレは絆創膏を探した。確か、一ヶ月前には戸棚に入っていたはずだ。美咲の白い戸棚に手をかけると血がベットリとついてしまった。ああ、美咲に怒られてしまうではないか。しかしこれは後で拭くことにしてまずは絆創膏を指に巻くことだ。よしよし。

 

野菜と麺を炒めて、最初の肉を戻す。よしよし。最後にソースをかける。この最後の仕上げで味が決まるのだ。そういえば、美咲は最後の仕上げが甘かった。合鍵を返して、とオレに言うのは良かったが言うのが遅すぎた。その時オレは既に合鍵を作っていたのだった。だからこうしてオレは焼きそばを作ることができているのだ。そうなのだ。美咲は驚くだろうか。困ったように笑ってくれるに違いない。焼きそばは美味しくできたのだから。