銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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嫌いなものの話

これはTwitterで書いたことだけど、これ長文書けそうと思ったのでこっちでも書く。

 

本当は全然嫌いじゃないのに、上手くできないがために嫌いということにしているものが結構ある。

 

受験生時代から薄々感じていたことだ。

 

オレは数学が苦手だった。苦手だったから塾に通ったが、結局本番は全然できなかった。


それで、数学は嫌いだった。

 

 

「苦手」と「嫌い」のどっちが先にあるのか、というのは難しい問いだ。


一見すると一方的な因果関係ではなく、「鶏が先か卵が先か」に似ているように見える。

 

でもそれ嘘じゃねえかな、と思う。
「嫌いだから苦手になる」ことって本当は存在しないんじゃないかな。

 

苦手だから嫌いになる。この一通りだけなんじゃない?

 

 

全然関係ないけど「苦手」っていっぱい打ってたら「芋」に見えてきたな。

 

見えてきたんだよ。文句あんのか?

 

話を戻す。

 

数学解くの正直楽しかった。世界史暗記するのの100倍楽しいだろ。

 

世界史とか暗記するのって、結局教科書に書いてあることだから、オレはめちゃくちゃ努力して教科書になろうとしてるのか?という感じがある。


でも数学はオレ自身の性能が上がっていくような気がして楽しかった。

 

でも、嫌いということにした。できなかったから。苦手であることに言い訳がきくから。

 

数学が苦手でも「嫌いなんだよね」と言えば、それ以上は追及を受けない。

何故なら「苦手」は能力だが、「嫌い」は感情だから。

 

後者は趣味嗜好であり、自分でどうこうできる問題じゃないからしょうがない。そういう捉え方をされる。

 

改善の努力をする必要もなくなる。「練習したら?」と言われても「嫌いだから」と言えばいい。

 

だから「嫌い」と言うだけだと思う。

 

オレが嫌いなものって苦手だから嫌いって言ってるだけなものが多い。これは結局、見栄とか、怠慢なんだろうな。

 

「下手の横好き」という諺があるけど、あれを実践できてる人はすごい。飾らない素直さがあって、人間ができている。 

 

当然「好きこそものの上手なれ」は、完全に逆。上手いから好きになる。

 

苦手なものを得意にするにはこれを認めなきゃいけないんだと思う。

「実際は楽しい」と認めて、上手くなる努力をするしかない。

 

 

ということで手始めに誰かボーリング教えてくれ。

 

あ、スコアは25点です。宜しくお願いします。