銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

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筋トレの話

筋トレをしている。

NHKの「筋肉体操」をYoutubeで見ながら、胸筋、腹筋、背筋のどれかを毎日鍛えている。下半身はもういい。これ以上いらない。

筋肉体操を見すぎて台詞を覚えてきた。

 

みんなで筋肉体操です。筋トレはやり方を工夫すれば短い時間で十分に成果を上げられます。一緒に筋肉を追い込んでいきましょう。」

 

で、なんで筋トレをするのか。筋肉が足りなくて困ったことは今まで一度もない。というか普通に生きていていらないものランキング第3位が筋肉だ。2位は泥。1位は石。

 

筋トレをするとモテるみたいな話があるが、言わせてもらえば、筋トレの成果を見せられるような関係になっている時点でもう目的は達成されている、とそういうことになるのではないか。そりゃまあ海に行きますとか裸祭りに参加しますとかなら話は別だが、みんながみんな海に行ったり裸祭りに参加したりするとは思わないでほしい。裸祭り?

 

まだ40日くらいしか続けていないが、オレにとって筋トレは自己肯定感を上げる手段だ。

 

二つの意味でそうだろう。

一つ目は見た目だ。毎日風呂に入る時自分の体を見ることになるのだからそれは少しでもカッコイイ方がいいだろう。筋肉がカッコイイかは諸説あるが、基本的にオレは「男とは!」みたいな信念のもとに生きているから。

 

二つ目は精神的なものだ。筋トレは基本的に「良いこと」とされている (大麻を吸ったりするより良いだろう)。「良いこと」を習慣づけることはオレの自己肯定感を引き上げる。

 

いや、自己肯定感が下がった時の拠り所になる、と言った方が正しいか。

割とすぐに自己肯定感が下がるタイプなので、そういう時に「いやでもオレは毎日筋トレしてるし偉い…」とすがれるものが欲しいのだ。くだらねーと思うかも知れないけど、そのために筋トレをしている。

最近自分を褒めようみたいな言説が流行っていて、「生きているだけで偉い、自分を褒めよう」みたいな態度が賞賛される。少なくともTwitterでは。なんとかペンギンの例を挙げるまでもないだろう。

 

これ自体は素晴らしい態度だと思うし、自分を認めて褒めることは精神衛生上良いことではある。

しかし、オレの場合は「朝起きられたから」「授業に出たから」「生きているから」という理由で自己肯定感を支えることができない。オレの自己肯定感は「必要最低限ではない、プラスαの善行」によって支えられている。

 

何かがうまくいかないと、部活で他人より進捗を生めないと、自己嫌悪が迫ってくる。

その落ちてくる天井の最後のつっかえ棒となるのが毎日続けている筋トレだったりする。

 

だから筋トレをしている。ついでに最近はTEDも毎日見ている。それだけだが、オレの自己肯定感を支えるのに不可欠だ。

 

ちなみに今、何かを継続して頑張っている人のためのライングループを作っており、そこでは毎日色んな人が「今日やったこと」を報告し、褒め合っている。今は7人が参加している。オレは毎日「筋トレをしました」と言っている。みんなもどうですか。