銀色の玉の中で息を潜めて丸まっている

Twitter → https://twitter.com/bamtehu0310

コントの話

振り返れば「コント」がオレの人生の中で重要な位置を占めている。天下の東京大学を『仮構性から見るコントの笑いの構造分析』という卒論で卒業した。自分が所属するコントユニット煩悩教会の単独ライブが3月7日にあるが、遂に第五回を迎えた。第一回の集客30人から始めて今回は150人が見に来てくれる。

 

そもそも、高校までオレはそんなにコントに興味がなかったし、こんなことになるとは思っていなかった。全ての始まりは高校の友達から「コントグループ組むんだけどやらない?」という連絡が来たことだ。なんだかよくわからないが面白そうだから承諾した。あそこで断っていたらオレはコントで卒論は書かなかっただろう。

 

自分を褒めておきたいのは、友達が「コントグループ組むから面白い奴探すか」となった時に候補に上がるくらいの面白さを高校時代に積み上げてきたことだ。正直言ってオレは、他のメンバーに比べると面白くないという自覚がある。というよりはあいつらが面白すぎる。

 

小学校の頃からそうだが、自分で言うのはなんだが、オレはある程度の「面白い」という評価を受けてきた。本当に自分で言うのはなんだな。そのたびに、「オレが面白いんじゃないんだよな」と思ってきた。いつでも周りの奴が面白いだけだった。しかし、「面白い奴が周りに集まってくる」という能力が自分にあることはわかっていた。何故かはわからない。いつもオレは横で爆笑しているだけだった。

 

それでもオレはオレなりに、コントに向き合ってきたつもりだ。煩悩教会のライブも第五回を数え、コントの質が変わってきた。武道の「守・破・離」という成長段階(型を守る、破る、離れる)で言うなら、やっと「破」のコントが作れるようになったと思う。

 

基本的なコントを作るのは(面白いかは置いておいて)簡単だ。例えば「結婚式」でコントを作りたいなら、結婚式で起きることを時系列で挙げていけばいい。例えば新郎新婦入場から始まり、スピーチがあって、ケーキ入刀があって、余興もあるかもしれない。その一つ一つのイベントに関するボケを考えて、そこにツッコミを入れる。最後に、序盤でやったボケをもう一度行えばオチだ。これで一応、「コント」と呼べるものはできる。

 

しかしこれなら漫才でやった方が絶対に良い。コントの特徴は仮構性、フィクション性にあるから、大筋のボケは一貫していた方が良い。それに、できる限りツッコミは少ない方が良い。ツッコミはコントの仮構性を損なうからだ。五回もライブをやるとこういうことが肌でわかってくる。覚えていないが、第一回は「これ漫才でいいな」というコントばかりだったと思う。

 

要するにオレたちのコントはどんどん面白くなっている。自明に今回のライブが今までで一番面白い。よって、来てくれる人は正解です。(Q.E.D)